構成番組 吟剣詩舞で綴る「麗しき相模の大地」


構成番組 吟剣詩舞で綴る 「麗しき相模の大地」 ナレーター:中島龍岳



★「鎌倉の古道を歩く」
彷徨い人中島孝夫


「麗しき相模の大地」 DVDプロモーションビデオ(15分)
(全収録:DVD72分)
企画・構成:金沢区吟剣詩舞道連盟 制作:大和流香章会・香端会
ナレーター:中島龍岳 尺八演奏:奥本林山先生 シンセサイザー:米田鸚水先生
平成23年度 金沢区民文化祭 金沢区吟剣詩舞道連盟 第13回大会
吟と舞の祭典
日時:平成23年10月29日(土) 会場:横浜市金沢公会堂
主催:金沢区民文化祭実行委員会 企画・運営:金沢区吟剣詩舞道連盟
共催:横浜市金沢区役所 後援:NPO法人横浜金沢文化協会

構成番組 吟剣詩舞で綴る 「麗しき相模の大地」 プログラム
 ただ今より、構成番組「麗しき相模の大地」を開幕します。
暖かい気候に恵まれた相模の大地には、箱根連山と霊峰富士の山が聳え、太平洋に、その流れを
注ぐ相模川が流れています。 郷土・神奈川は、鎌倉五山の仏教思想が確立し、日本最初に幕府が
開かれた鎌倉を持ち、風光明媚な富士・箱根をはじめ、相模灘の青い海と、緑に満ちた山々を有して
います。
 このような、相模の大地に育った古の人々が、心に何を感じ、人生の真実の美をどのように求めた
かを、その歴史と文化をひも解きながら辿ってみることにします。 相模の国に古歌が誕生したのは、
古事記の時代で、神話の里として採り上げられています。 万葉集は、次のように数多くの歌が詠わ
れています。
「相模の古歌」
1.相模路の 万葉集 2.川崎・多摩川 万葉集巻十四 
相模路の
    余綾の浜の 真砂なす
        児らは愛しく 思わるるかも
多摩川に さらす手作り さらさらに
    何ぞ この児の ここだ愛しき
3.横浜・旭区 万葉集・防人の歌 服部於由   4.横須賀 走水 古事記・弟橘媛       
わが行の 息つくしかば 足柄の
   峰延ほ雲を 見とと偲はね
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
   火中に 立ちて 問いし君はも
5.湘南大磯 古今集巻二十 東歌 6.小田原・湯ヶ原 万葉集巻十四 東歌
 小余綾の 磯たちならし 磯菜摘む
   めざし濡らすな 沖におれ波
足柄の 土肥の河内に 出づる湯の
  世にも動握に 児らが言はなくに
第1章 古都鎌倉を詠う(一)
 鎌倉は、わが国で最初に武家政治が行われた所であり、いたるところに鎌倉文化の残照が見られ
ます。 山裾の谷戸に、そっと足を延ばせば武者の姿が走り抜けて行くかのようです。 また、精神
文化の糧となった禅寺には四季折々の花の香りを染め、古都鎌倉の風情が感じられます。
7.鎌倉や 与謝野晶子 8.鎌倉懐古
 鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は
 美男におはす 夏木立かな
相中古を弔うて此に盤旋 覇主の桜台建久の年
雄略終わらず三世の幕 遠図唯有り八州の船
馬空しくして屈裏寒影を留め 鶴去って岡頭晩煙に入る行くゆく琵琶橋上に到りて望めば 依然たる海獄
春天に媚ぶ
 平家に非ずんば人に非ずとまで言われた平家一門、京の都六波羅は平清盛の天下となっていました。
源氏は滅亡の危機にさらされ、源義朝も亡くなり、常盤御前は難を逃れて、二人の遺児と生まれたばか
りの赤子を抱き、寒風吹きすさぶ雪の中を、大和に向って落ち延びて行きました。
 それから十余年、赤子は成人して、源九郎義経となり、平家追討へとのりだし、大軍を率いて天下に
号令するまでになりました。
 それでは、常盤御前が二人の遺児を連れ、牛若を抱いた図に思いをはせ、当時を偲んでみることに
します。
9.常盤弧を抱くの図に題す 梁川星厳
雪は笠檐に灌いで風袂を捲く 
呱呱乳を求むるは若為の情ぞ        
他年鉄拐峰頭の嶮 
三軍を叱咤するは是れ此の声
 鎌倉幕府五大執権・北条時頼は、世に最明寺殿といわれ、最明寺で出家し、わずか三十七歳の若さで
この世を去りました。 時頼は民に対しては倹約を勧め、家臣に対しては仁義を施すなど、公平な政治を
行いました。 今も尚、明月院の境内には最明寺の跡があり、清らかな水が流れ、昔を偲ぶことができま
す。 人里離れた粗末な庵で、春の訪れを詠んだ時頼の詩をお聴きください。
10.春流 北条時頼 11.鎌倉 文部省唱歌
 春流岸よりも高く 細草苔よりも碧なり
 小院人到る無く 風来たって門自から開く  
 1.七里ヶ浜のいそ伝い 
      稲村ヶ崎の名将の 剣投ぜし古戦場
 2.極楽寺坂越え行けば
      長谷観音の堂近く 露座の大仏おわします
 3.由比の浜べを右に見て
      雪ノ下村過行けば 八幡宮の御社
 時に1333年、後醍醐天皇から北条氏を討てとの命を受けた新田義貞は、上野国・新田の庄で兵を挙げ、
わずか十日後、鎌倉に攻め寄せました。 ところが鎌倉は三方を山に囲まれているため、攻め入ること
ができず、やむなく義貞は、稲村ヶ崎の海岸沿いに兵を進め、海に剣を投じ、海神に戦勝を祈願し、引き
潮を利用して一挙に鎌倉を攻め込み、鎌倉幕府を滅ぼしたのでした。
12.義貞海神に祈るの図に題す 篠崎小竹
 宝剣一たび投じて潮水乾く  
 鯨げいりくに就く中興の年
 龍神他日猶恨むに堪えたり    
 覆さず彌猴西上の船
 第二景 江の島・城ヶ島を詠う
 江の島縁起によると、江の島ができたのは、むかし、ある夜のこと、雷鳴が響きわたり、天地が激しく震動
し、この世も終わりかと思われた時、雷雨の間からあざやかな童子を従えた弁財天が現れ出でると、たち
まち雷雨はおさまり、大海原から江の島が出現したと伝えられています。
 後にこれを聞いた源頼朝は、信仰の対象として、諸社殿を建立し、弁財天を観請しました。 やがて相模の
国は、大山詣と江の島詣の信仰の地として、全国に知られるようになりました。
13.沖つ波 与謝野晶子 14.江の島稚児ヶ淵
 沖つ風 吹けば またたく 
   蝋の火に しずく散るなり 江の島の洞 
 風涛石岸に雷鳴を闘はせ 真に楼台の万丈なるゆる
 がして廻る
 被髪籠を釣る滄海の客 三山到る処波を蹴って開く
 城ヶ島に降り注ぐ雨は、何とも言えぬロマンがあります。 それは、島村抱月と松井須磨子によって大ヒット
となった「城ヶ島の雨」の美しくも侘しいメロディーが多くの人々の心を強く捉えたからでありましょう。 
城ヶ島にしばし足を伸ばして見ることにします。
 城ヶ島の霧雨の彼方の沖から、小舟が現れました・・・ 通矢の鼻から帆を上げて出て行く舟もあります。
15.城ヶ島の雨 北原白秋
 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの雨がふる 雨は真珠か 夜明けの霧か 
 それとも私の しのび泣き 舟はゆくゆく 通り矢の鼻を ぬれて帆をあげた 主の舟
 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気 雨はふるふる 日はうすぐもる
 舟はゆくゆく 帆はかすむ
 北原白秋は、「雲母集」の中で、三崎の明るい雲母の弾きを直感し、幸福を感じるようになったと記して
います。三崎は三浦半島の突端に在って、気候は温和で、四季の南風も柔らかく、遙かに房総の館山を
望める風光明媚な一漁村でした。
16.波つづき 北原白秋 17.しみじみと 北原白秋
 波つづき 銀のさざなみ はてしなく     
   輝く海を 日もすがら見る 
 しみじみと 海に雨降る 澪の雨
   利休鼠と なりにけるかも
18.城ヶ島 根岸清風
 相模湾上 波天を衝く 
 城ヶ島の磯辺 雨煙に似たり
 遙かに海洋を望めば 視界幽かなり
 只見る点々として 白帆の連なるを
古都鎌倉を詠う (二)
 建久四年五月、源頼朝は富士の裾野において、大規模な鷹狩を催しました。 おびただしい人馬の群れ
が終結し、鎌倉幕府の勢いを見せつけるようでもありました。 その夜、風雨の中を勢子達にまぎれこんだ
二人の若武者がおりました。 十八年の歳月をかけ、頼朝公の重臣・工藤祐経を父の仇と狙う曽我十郎と
五郎の兄弟でした。
19.曽我兄弟 松口月城
 富士の山風雨を交えて吹く 上天此の夕二児を憐れむ  
 篝火の影は淡し裾野の陣 警拆響は遠ざかる狩家の帷
 十有八年朝又暮れ 憤恨涙を呑む知る者は誰ぞ
 枕を蹴って呼び起こす仇祐経 白刃一閃思いをはらすの時
 雨止み風収まりて雲月を吐く 凄壮輝し出す兄弟の姿
 源頼朝が鎌倉幕府を開いた鎌倉という地名の起りは、一説によると、地形が釜や甕の形に似ていた
からだと言われています。 三方は山に囲まれ、南は海に面し、攻めにくい地形であったことから、八幡
太郎義家は、早くから鎌倉に目をつけ館をかまえました。 源氏の頭領は代々この地に住み、やがて
頼朝にって日本最初の武家の幕府が誕生したのでした。
20.八幡公 頼 山陽
 結髪軍に従うて弓前雄なり 八州の草木威風を識る
 白旗動かず兵営静かなり 馬を辺城にたてて乱鴻を看る
 義経は平家を一の谷、屋島、壇ノ浦で滅亡せしめた功績により、後白河法皇より検非違使左衛門尉に任ぜ
られました。 このことが兄頼朝の怒りをかい、反逆の烙印を押され、追放の身となり、諸国をさまよい、やが
て吉野山中に分け入ったのでした。 静もこれに従いましたが、女人禁制のため、やむなく義経と別れなけ
ればなりませんでした。 そして義経は奥州の地へと逃れて行ったのでした。 その後、静は捕えられて
鎌倉に送られました。 文治二年四月、鎌倉鶴岡八幡宮では、平家を亡ぼした頼朝が、戦勝祝賀の宴を催す
ということで賑わっていました。
 厳かな神事のあと、静は頼朝から舞を所望されたのでした。
21.静御前 頼 山陽
 工藤の銅拍秩父の鼓 幕中酒を挙げて汝の舞を観る
   しずやしず 賎の苧環くり返し
     昔を今に なすよしもがな
 一尺の布猶お縫う可し 況や此の操車百尺の縷をや
   吉野山 峰の白雪 ふみわけて
     入りにし人の 跡ぞ恋しき
 回波回さず阿哥の心 南山雪終古に深し
 孝霊天皇の五年、一夜のうちに、近江の湖水に琵琶湖ができ、駿河に富士の山が憤出したという伝説が
あります。 白衣の美女たちが頂上で並び舞うのが見えたとも言われています。
 今でも冬から春先にかけて強い風が吹く晴天の日には、麓から眺める富士の嶺に白い雲が乱れて、天女
の舞のように美しくみえます。 これを地元の人たちは富士舞いと名付けました。
 この雄大な霊峰富士を、次の詩の朗詠に託しフィナーレといたします。
22.田子の浦ゆ 山部赤人 23.富士山を詠ず 柴野栗山
 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ
   富士の高嶺に 雪は降りける
 誰か東海の水を将って 濯い出す 玉芙蓉
 地に蟠まって三州付き 天に挿んで八葉重なる
 雲霞大麓に蒸し 日月中峰を避く
 独立原競うこと無く 自ら衆獄の宗と為る
 
写真提供:(社)鎌倉市観光協会

・吟剣詩舞で綴る「麗しき相模の大地」:ナレーター 中島龍岳
・江戸時代の金沢八景を詠う:スライドショー*スペイン語訳